とある工場へ訪れるとそこにはたくさんの車が。それらは新車ではなく長い間使われていたような姿をしています。
この普段とは違う情景に好奇心を駆り立てられました。
今回は有限会社オートリサイクルナカシマ福岡(以下:オートリサイクルナカシマ福岡)さんに取材を行いました。
オートリサイクルナカシマ福岡さんは、自動車の解体、リサイクル部品の販売を行う企業です。
そんなオートリサイクルナカシマ福岡さんへの第一回目となる今回の取材では、中島邦晃社長にお話を伺います。
前代表であるお父様からオートリサイクルナカシマ福岡の事業継承を受け二代目社長となった中島社長のお考えや、会社に対する思いについて迫る取材となりました。
泥臭くてもチャレンジする!オートリサイクルナカシマ福岡に続く精神とは。
“オートリサイクルナカシマ福岡”という社名を聞いてみなさんどんな事業を想像しますか?
リサイクルと聞くと“ペットボトル”や“エコバック”など様々なモノが思い浮かびますが、オートリサイクルナカシマ福岡さんではどのような事業を行っているのでしょうか。
オートリサイクルナカシマ福岡さんが行っている事業は、自動車の解体を行いその過程で出るリサイクル部品を、修理業者さんをはじめディーラーさん、企業さんに販売することです。
リサイクル部品は国内だけでなく、海外でも需要があるので、海外の方たちに向けての販売も行っております。
そしてもう一つ、最近増えているのが、ネット販売です。「捨てる部品があるのはもったいないよね」ということで一般の方にも販売を始めました
オートリサイクルナカシマ福岡さんでは、ネジ一本という単位まで徹底してリサイクルが行われているそうですが、それは国内・海外・個人と多くの人に販売を行っているからこそ成せることなんですね。
では、どういった経緯でオートリサイクルナカシマ福岡さんの事業が始まったのでしょうか?
もともと両親が大分県日田市で、家を解体した時に出る鉄くずや鉄骨、射撃場の跡地にある鉄砲玉などを回収する、回収・買取事業を泥臭く行っていました。
のちに両親が「車の買取や回収もしませんか」と声を掛けられたことがきっかけで、車を買い取って解体する事業が始まり、これがオートリサイクルナカシマ福岡の始まりとなります。
大分県日田市で両親が始めた事業は、徐々に九州、四国、中国と広まり最終的には北海道まで約160社程度のネットワークが構築されるほど成長したんです
オートリサイクルナカシマ福岡さんを訪問した際、迫力ある車の解体風景に心が踊りましたが、はじめは車ではなく鉄に関する事業を行っていたんですね。
では、車の回収・解体事業を行っているオートリサイクルナカシマ福岡さんには、“リサイクル部品を通して地球にやさしい環境を創る企業を目指します”という経営理念がありますが、これにはどのような思いが込められているのでしょうか。
経営理念がつくられたのは私が入社して3年目の時でした。
その頃はまだ会社としての軸足が定まってない状態だったんです。
しかし先代には「企業は金儲けのために存在するものではない。そんな企業が永続的に存在するのは不可能だ」という思いがありました。
その思いは強く、ただ単にお金儲けをするのではなく、理念のように地球や環境に対して貢献することができるリサイクル事業を始めようということになったんです。
これが経営理念に込められた思いと、オートリサイクルナカシマ福岡の事業確立の背景なんです
そういった背景があったんですね。他にもリサイクル部品を扱うことについて、創業時の社会背景なども影響したのでしょうか?
社会背景というよりも日本ではリサイクル部品の活用があまり認知されていなかったという状況が影響したと思います。
さらにはリサイクル業者という存在も何をやっているか良く分からないような社会でした。
さらに、業界としても文化や環境がしっかりと構築されておらず、お客さんに挨拶もしないというような業界だったんです。
そのような業界の現状を変えようということで、先代たちが駅前で挨拶運動をしたり、社員教育もしっかりして、やっと世間の皆様にリサイクル事業を認知してもらえるようになってきました
まだ浸透していないものを認知してもらうための努力は多くの困難にぶつかりそうですね。
そこで、社訓の1つに“出来ない理由より、出来る方法を探求せよ”と掲げられていますが、中島社長や先代がそれを社訓とした理由があったのでしょうか?
ある頃から会社の会議で、出来ない理由ばかり出てくるようになりました。
そこで、出来ないということは前提として、いかにそれを実現するかといった前向きな考えを会社全体で持つように心がけたかったんです。
これは、特に大切な考え方だからこそ、社訓の中でも一番に掲げています。
できない理由なんて10個でも20個でも出るんです。
そうではなくて、可能性があることを1つでも提案して、チャレンジして、成功や失敗を繰り返して発展していこうという思いを込めています。
創業時は文化や環境が構築されておらず、お客さんに挨拶もしないというような状況でしたが、チャレンジを何度も繰り返して会社が大きくなっていったように、チャレンジする精神が続いています
両親から受け継いだオートリサイクルナカシマ福岡の精神。
ここまではオートリサイクルナカシマ福岡の歴史、そして昔から培われてきたチャレンジの精神についてお話しいただきました。
お話を聞いていて気になったのは、中島社長のこれまでのご経歴。
ご両親が始められたオートリサイクルナカシマ福岡さんですが、この仕事に就いたきっかけや経緯はどういったものだったのでしょうか?
両親が朝から晩まで油まみれで働いて、晴れの日は灼熱の中、雨が降ったら蒸し上がる室内でエンジンをバラバラにしていたわけです。
私も小学校、中学校、高校と春休み、夏休み、冬休みの間はほぼ実家でアルバイトをしていました。
両親が人手不足に頭を抱えていることを子どもながらに感じていたので、早く一人前になって手助けしたいなという思いがあったんです
お父様が始められた事業を引き継いだ中島社長ですが、実際に“社長”というお立場になって改めて大切だなと感じるお父様の言葉や考えなどはございますか?
何か行動しないと変わらないなと感じます。
これまでの先代の姿を見ても、日田で始めた小さな事業が全国に拡大するまでコツコツと努力を重ねています。
そのことを踏まえると、毎年少しずつ設備投資も変えたり、社員もローテーションしたり、過去にしがみつかず、進み続けるということを意識しています
幼い頃から見てきたお父様の姿と自分が並ぶこととなる事業継承の際は、どのようなお気持ちでしたか?
それは大変な気持ちでいっぱいでした。
事業継承と同時に1億5000万円の借入を行い、これから社長として仕事をしていくということの実感も覚悟もそれまで以上に強くなりました
では、中島社長が事業継承した際、オートリサイクルナカシマ福岡さんに取り入れたいアイデアや新しい施策等の考えはあったのでしょうか?
私は堅実に守るタイプであるので、今ある状態をより強固にして、実績を伸ばしていくことに特化してきました。
また、当時、組合や同業者を自由に訪問できていたこともあり、他者の良いところを積極的に取り入れていきました
中島社長が子どもの頃は、ご両親の手助けをしたいという思いを持っていたようですが、今となっては会社を引き継ぎ、当時見ていたお父様の姿と並んでご活躍している中島社長のお話に心打たれました。
今後の組織像や社風、求める人物像
ここまではオートリサイクルナカシマ福岡さんの会社全体について、また中島社長のキャリアや社長としてのお仕事についてお伺いしました。
インタビューの最後にお伺いしたのは、オートリサイクルナカシマ福岡さんの今後について。
まずは、今後どのような組織を目指していくのかについてお伺いしました。
将来的には、私や副社長がいずれ引退するときがきます。
ということはそれらのポジションが空きます。
この点について、社員の中から代表としてオートリサイクルナカシマ福岡を盛り上げていきたいという人が出てくれば、その人に任せる準備を行っています。
他にもオートリサイクルナカシマ福岡を盛り上げたいという強い思いを持っている社員がいれば、執行役員など経営層のポストは空けようと構想中です
長い年月に渡って同じ人が同じ役職に就いているよりも、会社には一定の変化があった方が良いというお考えなのでしょうか?
古い体制が長く続くことよりも、新しい血を入れて新しい人たちが新しい会社の未来を描き、盛り上げることが重要だと思います。
それが会社組織のあるべき姿だと考えますし、実際それを目指した準備をしっかり行っている最中です
その点で、自主性やチャレンジの精神を求めているのですね。
これらを重視するというのは会社の存続や仕事を重視されているからなのか、それとも社員を育てたいという思いからなのでしょうか?
両方です。
結局人が育たないと会社も大きくなりません。だからこそ社員が働きやすい環境をつくることも経営層の仕事なんです。
全てを許可できるわけではありませんが、現場から上がってくる意見は尊重しますし、こうした方が社風が良くなるのではないかという意見は大切にしています
社員さんの意見を尊重することと、社員を育てることにはどのような繋がりがあるのでしょうか。
以前は、会社のことを全て前の社長が行っていたんです。
しかしそれでは社員が何も言わなくなり、自主性が乏しくなり、会社を大きくするうえで重要な“人”が育ちにくい状況にありました。
ですが先ほど話したように、会社が成長するには社員の成長は欠かせません。
だからこそ今では、社員が会社全体のことについても身の回りのことについても意見しやすい雰囲気や環境を整えています
若い世代の社員さんの意見を尊重することに、正直、不安はないのでしょうか?
むしろ活動してもらえないことの方が不安だと感じます。
何もしないことよりも、失敗しても良いので何かに取り組んでほしいと思っています
活動してもらえないことが不安なんですね。私たち若い世代は「失敗したら、、」と考えてしまいがちですが、経営者の方からするとそうではないということが良く分かりました。
では、インタビューの最後に、オートリサイクルナカシマ福岡さんが求める人物像について教えてください。
失敗を恐れない人が一番です。
私もこれまでの経歴の中で何度も失敗したことがあります。
ですが、失敗を恐れたことはありません。
失敗して挫けることもありますが、だからこそ成長があるのだと考えています。
そのような考えで前向きに取り組んでいける人が集まれば強い会社になる。
冷静であることも仕事をするうえで重要ですが、やはり一番求めている人物像は失敗を恐れない方かなと思います
有限会社オートリサイクルナカシマ福岡さんのお話を伺って
今回は有限会社オートリサイクルナカシマ福岡の中島邦晃社長にお話を伺いました。
今日、リサイクル事業と聞くと「環境に配慮したお仕事をしているんだな」と簡単に想像することはできますが、オートリサイクルナカシマ福岡さんの事業確立背景には、先代の泥臭くもチャレンジし続ける精神があり、現在においては中島社長をはじめ全社員さんで理念に向かってチャレンジを続けていました。
どの会社の事業においてもそうなのかもしれませんが、今回の取材のように困難にぶつかることが多かった過去や、現在持っている情熱に触れることができ、とても貴重な機会でした。
オートリサイクルナカシマ福岡さんについてもっと詳しく知りたい方はぜひホームページも見てみてください!