「就活」のルーツをたどる旅をしよう。

あなたは「就活」にどんなイメージを持っていますか?

自己分析をして「自分にあった仕事は何なのか考えたり」、「説明会で企業の方の話を聞いたり」。時には「インターンに参加して実際に仕事を体験したり」と、多くの人がこのようなイメージを持っていると思います。

実際のところは、上記に加えて業界・企業研究やOB・OG訪問などをします。その後、企業にエントリーし、本選考を経て、内定をもらうという形が一般的な就活です。

このような、新卒者を対象に年度毎に一括して求人し、在学中に採用試験を行って内定を出し、卒業後すぐに勤務するという就活のやり方を「新卒一括採用」と呼びます。この就活方法は日本独自の採用方法であり、海外にそのような文化はありません。

今でこそ就活は、この就活スタイルが一般的ですが、これが定着したのはごく最近の話だということは知っていますか?

実は就活は、時代の変化とともにそのスタイルも大きく変化しているんです。

そこで今回は、「就活の始まり」へと遡って、現在の就活スタイルになるまでの歴史を振り返ってみたいと思います!就活の全体像を客観的に見ることで、自分の就活を見つめ直すきっかけになってもらえると幸いです!

新卒一括採用が始まったのは明治時代!?

1870年代に日本で最初の大学ができました。そのころの学生は、卒業後は学界や官界を目指すのが一般的でしたが、実業界も学生に対してアプローチし始めました。そして1879(明治12)年、三菱(当時の日本郵船)が、慶應義塾大学の学生を採用したことが新卒の定期採用のスタートだったと言われています。

しかしこの当時の採用は、学歴や試験が基準ではなく、縁故採用が多かったようです。

What’s ?
縁故採用とは…企業が求職者を雇用する際、その企業となんらかの関わりがあることを採用の条件とすること

第一次世界大戦後の1920年頃は深刻な不況や大学令で大学が増えた影響で、就職希望者が溢れた(買い手市場になった)ため、入社のための選抜試験が行われるようになりました。

この時期、深刻な戦後恐慌の影響や経営が安定しない企業の採用の取り消しや新入社員の解雇が問題に対応すべく、大学は就職部を設け、就職活動の支援を行い始めます。

しかし、かなりの就職難であったため、学生たちは学業を疎かにして、就職活動に奔走する学生が後を経たなかったそうです。この事態に対応すべく、1928(昭和3)年、財閥系企業を中心に、文部省に対して「入社試験(採用選考)を卒業後に行うとする」という協定が結ばれました。1929年から学生は「卒業後の3月から採用選考を受ける」というルールが施行し、新卒一括採用は広まっていったのです。

What’s?
売り手市場・買い手市場とは…「売り手市場」は、就職したい学生の数に対して、採用したい企業の数の方が多く、学生側にとって優位であることを意味する。逆に、就職したい学生の数よりも採用したい企業の数の方ほうが少ない場合は「買い手市場」となり、企業側が優位な状況である。

現代の就活ルールの原型を見てみよう

日本の新卒採用で初めて就活ルールの取り決めがあったのは、1953年の「就職協定」です。

この協定で、採用選考の開始は卒業年度の10月以降に限定することが決定しました。

1960年代は、高度経済成長の影響で好景気になり、就職は売り手市場に。その結果、採用の早期化が加速し、就職協定は形だけの協定となってしまいました。この時期、青田買いが問題視されるようになったため、それを抑える協定の改定が繰り返されたが効果は薄かったようです。

What’s?
青田買いとは…企業が新入社員の採用を行う場合に、早い段階から学生に対して内定を出すこと(Wikipediaより)

1973(昭和48)年には、文部省、労働省、日本経営者団体連盟(日経連)が青田買いの自粛基準を制定し、「5月1日に会社訪問開始、7月1日に選考開始」に決定しました。しかし、翌年のオイル・ショックの影響で日本の高度経済成長は終わり、求職者は激しい就職難にさらされることになるのです。

1986(昭和61)年には男女雇用機会均等法が施行され、就職協定も「大学4年の8月20日に会社訪問開始、11月1日に内定開始」に改定され、だんだん就活ルールが定まっていったようです。しかし、1990年代に入るとバブルが崩壊し、就職氷河期がやってきます。この時期、企業は採用数を大幅に抑制し、量から質を求める採用にシフトしました。

この段階でエントリーシートが誕生し、面接で自己PRや志望動機をしっかり伝えることのできた学生が採用される傾向が見られようになります。

しかし、不平等な採用をしている企業や早期採用をしている企業などが多く出現し、日経連は1997年卒採用を最後に就職協定の廃止を決定しました。

就職協定の廃止後、新たな就活ルールとして登場したのが「倫理憲章」でした。

しかし倫理憲章では「大学の学事日程を尊重する」「採用選考活動の早期開始は自粛する」などの抽象的な記載であったため、効果はほとんどありませんでした。

不況も伴って、採用活動はさらに早期化していき、倫理憲章もまた改定が繰り返されていきました。

2003年、経団連は倫理憲章に「卒業学年に達しない学生に対して、面接など実質的な選考活動を行うことは厳に慎む」という一文を加えて卒業年度の4月以前の選考は行ってはならない」ということにしました。

2013年、安倍晋三政権の「学生が勉学に集中できる期間を長く確保するために就活時期を繰り下げるように」という要請を受けて、経団連は「採用選考に関する指針」を発表しました。

この発表で、解禁時期を「卒業・修了年度に入る直前の3月1日以降」、企業が面接などの選考を開始する時期を「卒業・修了年度の6月1日以降」、正式に内定を出す日を「卒業・修了年度の10月1日以降」とし、これが現在の就活ルールとなっています。

22卒から就活ルールがなくなる!?

2018年の9月に日本経済団体連合会(経団連)の中西宏明会長が「大学3年生の3月に会社説明会、大学4年生の6月に採用選考を解禁する現行のルールが守られずに形骸化している」と会見で発表しました。

これによって2021年卒以降の学生を対象とした採用選考に関する指針を策定しないことを決定しました。

しかし、企業や学生、大学など各方面で懸念の声が上がっており、経団連に変わってこれからは政府が新たなルール作りを主導するという運びとなりました。

経団連の発表を受けて、関係省庁は2018年の10月15日に会議を実施し、21卒までの就活ルールの維持を求める声が大多数でした。

そして、2019年10月の就活ルールに関する政府関係省庁連絡会議で、21卒の就活スケジュール維持が決定しました。

22年卒以降の就活ルールに関しても、経団連は「急激なルール変更は学生を混乱させてしまう可能性がある」という基本的な考え方があることから、22年卒までは大きなルール変更はないと予想されます。

最後に

今回は就活の歴史を遡ってみましたが、いかがでしたでしょうか。

日本の経済変化に伴って色々な課題に直面しながらも、その時代にあった方法で変化を遂げてきた日本の就活スタイルですが、今までがそうだったようにこれからの時代もさらに変化していきそうだと感じました。

就活の移り変わりを理解した上で、次回の記事では「これからの時代にあった就活とは何なのか」について考えていきたいと思います。

現状の就活スタイルだけにとらわれず、自分だけの就活スタイルを見つけていきましょう!

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